朝っぱらから大人のケンカ
今朝、地下鉄に乗ったら、ひとつ向こうのドアの方からおじさん2人の言い合いの声が。
「押すなよ!」
「押していませんよ!」
「押しただろう!」
「そっちが押して来たんでしょう!」
あーあー、と思いながら、スマホから顔を上げると、周りの人もちらっと見ていたり、呆れ顔だったり。
喧嘩はまだまだ続く。
「頭おかしいんじゃねぇか!」
「おかしいのはそっちでしょう!」
「うるさいなぁ」
「うるさいなら向こうに行けばいいでしょう!」
「あなたが行けばいいでしょう!」
その後も続いていたようですが、次の駅に着く頃には静かになっていました。
思ったこと
まず初めに思ったのは、「そんなことで大声出して恥ずかしくないのかな」。
どう考えてもその後が気まずいと思う。
私だったら(そもそもそんな喧嘩はしないけど)途中で降りて車両を変えちゃうかな。
穴があったら入りたい。
でも少なくとも先に言いがかりつけたほうのおじさんは銀座くらいまでは乗っていた。
図太いのかな。無神経とも言うよな。
次に浮かんで来たのは「あのおじさん、会社でもああやって部下をどなりつけてるのかもな」。
なんだか目に浮かぶよう。
しかも結構しつこいからタチが悪そう。
あんな上司、私の周りにはいなくてよかった。ほっ。
暴走する妄想
どうでもいいから放っておけばいいのに、なぜか私の妄想が止まらない。
朝、イライラしながら電車に乗って、ちょっと当たる人がいれば罵声を浴びせる。
会社に行っても怖い顔して、気にくわないことがあれば怒鳴りつける。
あ、でも、上の人にはヘコヘコしたりして。
飲みに行けば誰かの悪口か、そこにいる部下に説教。
家に帰っても奥さんと口も聞かず、黙ってごはん食べてビール飲んで寝る、みたいな。
どんだけ嫌な奴なんだって感じだけど…勝手に超悪者にしてごめんなさい(笑)。
でもね、ちゃんと満たされている人はあんなふうに怒ったりしないと思うんです。
自分を自分で満たせないと、そこに溜まったイライラモヤモヤを何かにぶつけずにはいられない。
他人だったり、自分だったり。
あのおじさんは人にぶつけて発散している。
自分にぶつけて自分を否定して勝手にふさぎこんでしまう人もいる。
でも、そうなっているのを他の誰かのせいにしていたりするなら、結局外にぶつけていることになるのかな。
自分の責任は自分でとる。
誰も私を満たすことはできない。
満たされていないのは他の誰のせいでもない。
自分を満たすのは自分なのだ。
昔、黒川伊保子さんの本に「なじる人は傷ついている」というフレーズがあった。
前夫に声を荒げてしまうことも多かった頃、そうだ、私は傷ついているんだ、と自分を慰めたものだ。
その人にはその人の理由がある。
あのおじさんも何かに傷ついているのかもしれない。
そんなことを考えていたら、あのおじさんは満たされずさみしい毎日を送っているんだろうなぁ…なんて思えて来て、かわいそうになってしまった。
それにしても、朝の電車は穏やかであってほしいなぁと思うのでした。
#90
投稿者プロフィール

- 都内在住アラフォー企業研究者。職場の人間関係に悩んだ経験から、「自分らしさ」「自己肯定感」を模索する日々。特技は料理。長年の不定愁訴を解消すべく分子栄養学と結び付けて健康で美味しい食生活を目指している。好きなモノは美味しいものとオットくん。趣味は旅行と山歩きと飲み歩き。♦ Facebookページ ♦ Twitter
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