【“ある”をみる習慣】自分の浮き沈みを感じるということ

このブログにも何度か書いていますが、私は 「”ある”から始める」ことを心がけています。

「もっと頑張ろう」と思うことは良いことだと思ってきましたが、その裏で「今の頑張りではたり”ない”」「今はまだできてい”ない”」、つまり自分を否定してきたんです。

それよりも「すでにこんなものを持っている」「こんな感情がある」そういうものに目を向けて行こう、と。

 

春から半年近く、自分に”ある”ものやことを1日5個以上あげてみる、というのをほぼ毎日やっています。

初めて書いた日はこんな感じでした。

  • 今日も生きている
  • 心に温かな昨日の余韻がある
  • 休日を共に穏やかに過ごす家族がいる
  • 美容院に行く時間とお金がある
  • 行きたいところに行ける体がある

先日、旅行に行った日はこんな感じ。

  • 小雨で済んだ幸運
  • 美味しい食べ物との出会い
  • いつの間にか頭痛がずいぶん和らいでいてありがたい
  • のんびりできる休日
  • 生かされていること

でも、ある日、こんなことがありました。

  • 空気がある
  • 生かされている
  • なんとなく、あるが出てこない、心が閉じている気がする朝。

その日は、からだやこころに耳を傾けてみても、なぜだか出て来なくて。

 

それで、気づいたことがあります。

私は今まで、自分の浮き沈みに気づいていなかった、あるいは気づかないようにしていたのだと。

特に、気持ちが沈んでいるとき。

そんな自分を認めたてしまいたくない気持ちがあるんだと思います。

奥深いところでは会社に行きたくない今すぐ家に帰りたいと叫んでいたはずなのに、それを見ないふりをして淡々と仕事に行っていた時期もありました。

そう、気持ちに蓋をしていた。

毎朝「ある」を書き出してみることで、良くも悪くも自分の状態を知ることができると気づきました。

 

ノリノリでたくさんの「ある」が出て来る日。

全然出てこない日。(思考で絞り出して書いちゃう)

でも、どちらかに良い・悪いはありません。

アップな私も私、ダウンな私も私、と受け入れていきたいです。

 

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投稿者プロフィール

芽瑠(める)
都内在住アラフォー企業研究者。職場の人間関係に悩んだ経験から、「自分らしさ」「自己肯定感」を模索する日々。特技は料理。長年の不定愁訴を解消すべく分子栄養学と結び付けて健康で美味しい食生活を目指している。好きなモノは美味しいものとオットくん。趣味は旅行と山歩きと飲み歩き。♦ Facebookページ ♦ Twitter